「その地域が自立するように構造が変わらないと、根本的な問題は何も解決されない。原子力そのものというより、それに依存させるシステムが悪いんです」

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Profileアイリーン・美緒子・
スミスさん
1971年から、水俣病取材のため、写真家 W. ユージン・スミス氏とともに 3年間現地に滞在。以降、環境活動家として市民運動に関わる。京都を拠点に約 30年間にわたり反原発を訴え続けている。NGO グリーン・アクション代表。

「対向車が来れば正面衝突が絶対に避けられない一本道を走っていて、ただ、いつぶつかるか、という時間の問題。福島での事故の一報を聞いたときには、刻々と迫っていたそのときがついに来てしまった、という感じでした」

30年以上にわたり、国内外で原発の問題点を訴え続けてきたアイリーン・美緒子・スミスさんは、日本での原発事故は不可避だったと話す。いつか必ずどこかで起きてしまう。反対運動で止められるほうが先か、事故が起きてしまうのが先かの競争だった。チェルノブイリ原発事故と並ぶレベルの過酷事故が、実際に東京電力福島第一原発で起きてしまったときに感じたのは「福島の次の事故が起こるのを早く止めないと」という危機感だった。

今ある当たり前は誰かがつくったもの

原発は運転のために冷却を要する。日本では海水による水冷式を用いているため、原発はすべて沿岸部にある。四方を海に囲まれた島国では、原発を建てる場所には困らなかった。都市部から離れた、風光明媚な海沿いの過疎の町々に、多くの原発が建てられていった。

1960〜70年代、原発の建設ラッシュに伴い、日本各地で原発の反対運動が始まった。原発の反対運動だけでなく、日本では市民運動は弱く効果がないなどといわれるが、その市民の声がなかったなら、もっと悲惨なことになっていたかもしれないと、アイリーンさんは語る。

「原発が建てられようとした各地で、地元の漁業・農業従事者をはじめとする住民たちを中心に、組合や都会の支援者たちによる反対運動がありました。それによって、おそらくこれまでに何度も、危険な状況を回避できているんです。そこに原発がない、という成果は目に見えにくい。誰も気づかないし、市民運動側も自分たちのその力に気づいていないと思う。今女性は当たり前のように投票しているけど、もし過去に女性が口をつぐんでいたら、女性の参政権だって今でもなかったかもしれない。それを普段考えないのと同じです」

これまで、原発や再処理工場の建設計画が浮上しながらも、市民による根強い反対運動や住民投票により、撤回または遅延させられている。着工に至らなかった地域は全国で 64カ所* もある。撤回となったときの最終決定者が、国や自治体、電力会社であるために、とりわけ「市民が止めた」という実績は残りにくく、決定側も「市民の反対により」と認めたがらない。そのため、いまの日常で私たちが、どれだけ声をあげてきた人々の活動の恩恵を受けているか、ことさら感じにくい。もしこれらの反対運動がなかったなら、東電福島第一原発事故発生時の日本の原発依存度は一層高く、混乱はより大きかった可能性があるが、そこで〈もっと在ったかもしれない原発〉のことを誰が思っただろうか。

アイリーンさんが 50年前から関わっている水俣での産業公害と被害者たちの闘いについても、いま日本に暮らす若者の中には知らない人も多い。

「その当時の被害者の方々の壮絶な努力で、日本の環境に関する法律も厳しくなったんです。だから、今の若い人たちはクリーンな環境で育つことができた。数十年前の人々の懸命な訴えと、現在の子どもたちの細胞とが、つながっているということを是非伝えたい」

市民運動のかたちと国民性

東電福島第一原発事故のすぐ後から、アイリーンさんは、できるだけ早く市民がモニタリングを行う必要性を感じ、福島への放射能測定器の提供を申し出てくれた国外の支援団体を仲介する。福島の市民団体に測定器や支援が渡るよう、人と人とをつないだ。2011年のほとんどは、市民が状況を記録する重要性を訴えて回ることに軸を置いた。データや記録を正確に残すことを、加害者側の国や電力会社に期待することはできないからだ。

その後しばらくして、再び残る原発の再稼働を止める活動にシフトしていく。

「過酷事故が起きたからといって、すぐに原発をなくす向きになるとは思いませんでしたね。日本がどういう国かわかっていたので。福島であそこまでの惨事が起きたのに、次を止めるために、あの事故を教訓にできないフラストレーションは感じました。自分を含む、市民運動側がもっと上手な動きをつくっていけないことにね」

原発事故後から、原発に反対する世論が高まり、これまで少数派だった原発に反対していた人々が急に多数派となった。しかし、長年活動してきた市民運動側が、自分たちは少数派であるという心理からうまく脱皮できず、新たに広がった動きと一緒に大きくなりきれなかった部分があると、アイリーンさんは指摘する。

「運動側だけの問題ではないけどね。社会が成熟していないから、急に世間全体が大きく声を上げて、それをずっと継続していくようなことにならない。反対運動のブームが去った後、残るのはまた同じ、元々活動していた人、というふうになりがち。運動側もひとつの〈伝統〉にはまらずに、その都度状況に応じて目的や手段を見直して、そのときに最も効果的だと分析したアクションをしていないと・・・と、言うのは簡単だけど」

重大事故が起き、市民が理不尽な実害を被っても、さほど怒らず、おとなしくしているという国民性まで、原発を扱う側はすべてよく理解して進めている。不条理な状況が長々と続けば、市民は疲弊させられ、諦めていく。日本人の国民性ともいえる細かさ・まじめさも、原発を維持する土壌づくりに利用されている、とアイリーンさんは考えている。現状のシステムを、いかに細かく整えて維持していくかにとらわれている日本の意思決定者たちにとって、転換・改革は最も苦手とするものだ。

「現代日本の現状維持という惰性ですよね。何十年も原子力に投資がされてきていて、産業があり、利権構造もあり、地域経済が原発に依存している自治体もある。仕組みががっちりできてしまっている中で、それを変えろ、原発やめろ、というのは、行政や市民にとってかなりの創造性がないとできないことです」

〈木を見て森を見ず〉の原発議論

東電福島第一原発事故後、ドイツはいち早く脱原発に舵を切った。その方向性を決めるのに大きな影響を与えたとされるのが、事故直後に設けられた〈安全なエネルギー供給に関する倫理委員会〉だ。同委員会は、原子力専門家や電力会社関係者ら明らかな原発推進派や、緑の党など明らかな反原発派を入れず、政治家、哲学者、聖職者、各学識関係者などで構成された。原発というエネルギー問題を、技術的・経済的な側面ではなく、あくまでも「取り返しのつかない環境と人への犠牲を生む発電方法が、倫理的に正しいのか」という点が議論された。

日本では、こうした多角的な考え方にはあまり至らず、事故後ですら、電力会社から「電力が足りなくなるかもしれない」という印象を植えつけられながら、漠然とした賛否が議論されがちだった。その安全性とリスク、被ばく、環境負荷、行き場のない核廃棄物、コスト、持続可能性 — こうした、原発の持つさまざまな側面は足し算で総合的に評価されず、技術論などひとつの点に集中した細かい議論に落とし込まれることも多かった。

原発反対運動も、訴える点としてひとつの細部にとらわれすぎてしまっている部分があると、アイリーンさんは言う。

「日本の反原発運動は、現地応援型。原発立地の地元住民を、福島においては被害に遭った方々を、支援する。それはそれでとても大事です。いまの日本にドイツのような〈倫理面での評価〉なんて求めるのは難しいし、地に足がついた活動もやっていかなければならない。けれど総括的に見て、これから脱原発をしていく上で、もっとやっていかないといけないのは、ローカルに経済的側面で解決策が提示されるよう促すことです」

変えるべきはシステム、地域経済のビジョン

命をまもれ、という反原発メッセージは重要で、当然の訴えだ。しかし、それを旗印にするだけでは、足りないものがある。日本が、つまりは原発立地地域が、原発のない未来を実現するには、そのコミュニティに原発財源に頼らない経済基盤をつくらなければならない。その町を、原発に頼らずとも存続させ、次の世代に引き継いでいくため、その地元でしかできない持続的な基幹産業を確立させなければならない。有効な反原発運動のためには、原発の危険性と同時に、時にはそれ以上に、原発なしでやっていく地方自治体の可能性を、現実的に、地元とともに考えていくことが求められる。

「ある原発が立地する町で、おばあちゃんが『自分たちで何も決められない町になってしまったことが、原発が来て一番の害だった』と、お話しされたのが忘れられなくて。これはシステムの問題なんです。この先、廃炉ビジネスでも自然エネルギーでも何だって同じで、その地域が自立するように構造が変わらないと、根本的な問題は何も解決されない。原子力そのものというより、それに依存させるシステムが悪いんです。その議論を促すよう、反対運動をしていかないと」

アイリーンさんは、東京・大企業中心で地元が下請け・孫請け、という図式に対する問題提起が、市民運動側からもっとあってもいいのではないか、と考えてきた。そのためには経済学者やアナリスト等も、もっと巻き込んでいかなければならない。

東電福島第一原発事故を経て辿り着いた、今という移行期を通して、経済システムのあり方を変えていければ、原発だけでなくさまざまな問題が解決に向けて前進する。脱原発運動をする市民や町の存続を憂うローカルだけが、このアイデアの提供から実行までを担う必要はなく、コンセプトを共有して、都会と地方、すべての市民と専門家で議論し、進めていく大きな共同作業だ。

「あとね、意思決定者が偏りすぎているんですよ。男性中心社会で、ジェンダーだけでなく世代の問題もある。社会の意思決定の仕組みも変わっていけば、それに伴って、原発はなくなると思います。逆に意思決定の仕組みがこの先も変わっていかなければ、原発にまつわる問題は形を変えてずっと残るでしょうね」

現在の日本で、さまざまな立場の市民の合意が大きな決定に反映されるのは、遠いことのように感じるが、そのビジョンを持たなければ変化はない。意思決定のプロセスには、次世代を担う、いまは一番立場の弱い子どもたちも含まれなければならない。そうした新しい、公平な社会のシステムへと転換する力を持っているのは、大人だ。子どもたちに、未来のよりよい「当たり前」をつくる責任があるのは、私たち大人だけだ。

  • *反対運動により原発が建設に至らなかった都道府県別地域数:北海道 6、青森 5、秋田 2、岩手 3、新潟 1、福島 1、石川 2、三重 3、和歌山 4、兵庫 2、京都 1、岡山 1、鳥取 1、島根 2、山口4、徳島 3、愛媛 1、高知 2、福岡 3、大分 2、宮崎 2、熊本 1、鹿児島 1