「過去の判例を踏まえない酷い判決もたまに出てしまいますが、歴史はそうして間違いをおかしながらも正しいものが残っていく、と思っています」

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Profile海渡 雄一さん
弁護士。1981年より数多くの原子力に関する訴訟を担当する。2010〜2012年には日弁連事務総長として原発事故と震災の法的対策に取り組む。脱原発弁護士全国連絡会の共同代表として、東京電力福島第一原発事故後の東京電力の責任追及、原発運転差し止めのための訴訟を多数担当。

原発訴訟などの環境事件や監獄訴訟などの人権事件に 40年に渡り携わってきた海渡雄一弁護士は、2011年の東京電力福島第一原発事故後、事故について「司法で未然に防げなかったことは痛恨の極み」だと述べていた。司法による解決には限界がある中で、司法が原発事故を防ぐとはどういうことなのだろうか。

弁護士の役割は「憲法に保障された基本的人権を実現することである」とも語る海渡弁護士の言葉から、原発事故によって人権侵害が起こらないようにするために、司法が原発の安全性を精査する役割を果たしていることが浮かび上がってくる。原発訴訟は、原発建設や運転を止める・原発事故の責任や被害の実態を明らかにする、といったさまざまな目的があるが、いかなる訴訟も、原発推進・反対派という対立軸ではなく、すべての市民の暮らしが今後あるいはさらに脅かされることがないように防守するものである。

原発訴訟が持つ波及力

日本において、住民による原発訴訟は、1970年代の原発建設ラッシュに始まる原発の歴史とともにある。当初は国の設置許可取り消しを求めるものが多かったが、電力会社に運転差し止めを求める訴訟も相次ぎ、現在も約 30件が審理されている(※ 2021年1月末現在)。

東電福島第一原発事故が与えた影響も当然大きい。事故以前に運転差し止めの司法判断がなされたのは、高裁でのもんじゅ訴訟(2003年)や地裁での志賀原発 2号機をめぐる訴訟(2006年)の 2件だけだった。それが事故を経て、この 10年間で、国や電力会社に原発の運転差し止めを命じる判決はこれまでで 6件にのぼる。東電福島第一原発事故の損害賠償に関する数多くある民事訴訟では、東電に対する請求ではほとんど、国に対するものでは半分程度の事件で、原告の訴えが認められている。

高速増殖炉もんじゅの設置許可取り消しを求めるもんじゅ訴訟は、1985年に提訴され、18年後に原告の訴えが認められた。その後最高裁で覆されるが、東電福島原発事故を契機にできた原子力規制委員会によってその安全管理の不備が指摘され、結局 2016年に廃炉が決定している。この一連の流れにおいて、司法の果たした役割は大きかったと海渡弁護士は話す。

「高裁で指摘された数々のもんじゅの危険性は、何年経ってもクリアされませんでした。もんじゅは相次ぐトラブルや事故で自滅したようにも見えますが、市民が立ち上がって訴訟をやり、一度完全に勝訴する結果を作った。私は、それがあったからこそ、まともに稼働することもなく廃炉に追い込まれていったと思っています」

「本来であれば、原発のリスクについて政治の場で話し合い、廃止していこうと国会で合意してそれが法律になっていけば、訴訟というものは役割を終えて起きなくなります。でも、政治がずっと脱原発へ舵を切れない中で、原発訴訟が脱原発を進めるための有力な手段となってきた」

訴訟を通して固まっていった社会の方向性が、大きな政治判断につながっていくのだと、海渡弁護士は言う。

「東電福島第一原発事故後に脱原発を決めたドイツでは、福島での事故以前に、司法判断によって廃炉に追い込まれた原発もありました。そうした背景があったからこそ、ドイツ社会の中で、そして国会で、脱原発の方向性に合意ができていった。その上で、政治が脱原発をはっきりと確定させた。司法の判断がベースとなり、立法・行政を縛って、国の行末を決めていくという力もある」

過去から連なる正義の糸を紡ぐ

東電福島第一原発事故後、新たに住民が訴訟を始める動きがあらためて激増した。国内のほとんどすべての原発で裁判が起きている。司法を通じた脱原発の闘いの潮目が、いま変わってきているという。

2020年、画期的なふたつの判決があった。仙台高裁での東電福島第一原発事故に関して国と東電の責任を認めた「生業訴訟(通称)」と、大阪地裁での関西電力・大飯原発 3、4号機の国による設置許可を違法とした「大飯原発訴訟」だ。

「大飯訴訟は、福島の原発事故後の行政訴訟としては初めて市民側の主張が認められた、意義の大きな判決です。この裁判で争点となったのは、国が原発の耐震性を判断する際の基準地震動(想定される最大規模の地震の揺れ)の算定。勝訴という結果だけでなく、注目すべきは、その判決に至る判断が 1992年の伊方原発訴訟の最高裁判決の枠組みに沿っているという点です」

伊方最高裁判決で示された判断枠組みとは「裁判所自らが科学的判断をするのではなく、国の安全基準や審査に不合理な点がないかをチェックし、見過ごすことのできない誤りがある場合は設置許可を違法とする」という行政に一定の裁量を認める判例だ。これを踏まえ、先の大飯原発訴訟で原告側は、国の基準地震動の算定に不備があり、耐震性は十分でないと訴えた。伊方最高裁判決で行われるべきと定められた〈国による安全性の立証〉ができていないという点が、大飯での勝訴を導いたのだ。

もう一点、伊方最高裁判決の判決文には「人々の生命・身体に危害を及ぼし、環境の放射能汚染を引き起こす深刻な災害が、万が一にも起こらないようにしなければならない」という旨の重要な文言も含まれていた。この当たり前のような認識が最高裁で明確に定まったことが、のちに大飯原発訴訟だけでなく、生業訴訟の勝利にもつながった。

海渡弁護士は、原発訴訟に「負け」はないと語る。

「この伊方原発の設置許可取り消しを求めた裁判は、結果としては原告の敗訴でした。しかし、もんじゅ訴訟や志賀原発訴訟、そして今回の大飯や生業訴訟といった、のちの裁判で市民側が勝つための道筋を確実につくった。法廷で原発をとめる判決に至らなくても、すべての裁判に価値があり、つながっている。過去の判例を踏まえない酷い判決もたまに出てしまいますけど、歴史はそうして間違いをおかしながらも正しいものが残っていく、と思っています」

悲劇を繰り返さないための次のステージ

逆に、重大事故の発生を許してしまったと感じる訴訟もある。「最も罪が重い判決」として、海渡弁護士があげるのは、2007年の浜岡原発訴訟の一審判決だ。浜岡原発は、巨大地震の発生確率が高いとされるプレート境界の真上に建設されており、国内の原発の中でも最も安全性が危惧されていた。それゆえに、福島の原発事故発生から二カ月後に政府が運転停止要請を出したほどだ。

この訴訟では、原発の耐震性について、専門家による科学論争が法廷で繰り広げられた。そこでは原告側により、外部電源と非常用電源がともに失われ、炉心溶融(メルトダウン)に至る可能性も指摘されていた。判決では「原告側が主張するような、複数の安全装置や非常用発電機の同時故障を想定する必要はない」として、敗訴となった。

その4年後の東電福島第一原発事故では、原告側の指摘をたどるように、想定しなくてよいはずの非常事態が次々と起こった。東電福島第一原発事故の一報を聞いた際、海渡弁護士はこの浜岡原発訴訟の判決を思い返し、これまで原発訴訟のために傾けた努力が無駄であったかのような無力感に襲われた。

「福島の事故を教訓として、原発に確実に終止符を打っていく」— 2011年7月、海渡弁護士はその思いを原動力に、浜岡原発訴訟で弁護団長を務めた河合弘之弁護士とともに脱原発弁護団全国連絡会を結成する。これまで 40年あまり、原発訴訟を担ってきた全国各地の弁護団同士で情報共有や相互協力が十分でなかった。その反省を元に、それぞれの資料や知見を、他の、また将来の原発訴訟に活用していく互助のための密なネットワークをつくった。

過去の判例の中に残った、縦に垂れる貴重な糸をたぐり寄せて勝利を紡ぎ出したように、志をともにする弁護士たちのつながりが横の糸となり、原発訴訟における司法の強固な土台が織られていっている。

民事と刑事の両輪で支えるもの

東京電力が津波・地震対策を怠った結果、福島第一原発の事故を防ぐことができなかったとして、東電の旧経営陣三名が強制起訴された「東電刑事裁判(通称)」。2019年9月、原発事故訴訟で唯一の刑事裁判の判決が下された。一審の東京地裁判決は「全員無罪」。この裁判の被害者代理人を務めた海渡弁護士は、極めて不当な判決と説明する。

「この判決では、高度な安全レベルは原発には求められていない、と言ってしまっているんですね。将来的にも求められないとなれば、事故はまた引き起こされます。福島での事故以前の安全管理の酷い実態を追認している。しかし、一方で、裁判にこぎつけることができなければ表に出なかったであろう重要な証拠が、数多く明るみに出たという成果もあります」

公開された法廷で、東電側の安全・責任体制の不備を突く事実が示され、議論された。この刑事裁判でつきとめた地震・津波の予見可能性についての証拠の一部は、先の仙台高裁の生業訴訟での立証にも用いられ、そこでの勝訴につながっている。横の糸の連携がここでも生きているのだ。

この判決は、旧経営陣への刑事責任が否定されたにすぎない。原発事業者には「事故の過失の有無にかかわらず」賠償責任があると、法律で定められている。しかし、生業訴訟判決では、東電に企業として事故発生を未然に防止できなかった「重大な過失があり、責任もある」ということが明らかにされているのだ。経営陣の判断ひとつで重大事故を招くことも回避することも可能という指摘、つまり原発は人災である、ということが改めて明示されたことの意義は大きい。

国や東電の責任を問う裁判で訴えが多く認められた場合、これまでに国が定めた賠償の指針などについても、国政の場で見直しが検討される可能性もある。裁判を起こすことのできない大半の被災者も含めた、被災者全体の状況の改善につなげていけるかもしれない。刑事・民事を問わず、すべての原発訴訟の結果が積み重なり、裁判に関わった人々だけでなく、すべての市民の暮らしを守ることにもつながっていく。

脱原発への最終行程

現在、日本国内で動いている原発は 4基のみ(※ 2021年1月末現在)。実状として、原子力は伸び行く自然エネルギーに越され、もはや電力源としての役割を果たしていない斜陽産業だと、海渡弁護士は指摘する。

「司法の場で、勝利をひとつずつ積み上げていくことは重要だと思っていますが、原子力産業は斜陽化してきているので、自然消滅していく可能性もあり得ると感じています。世論調査などを見ると、原発は不要という意見は七割くらいでずっと変わらない。加えて、いま原発がなくてもエネルギー供給ができることは世間で実感として共有もされてきている。あとは時間の問題で、原子力がなくなっていく工程は、いま八合目くらいまで来ているんじゃないでしょうか」

原発訴訟の 40年あまりの歩みと、起きてしまった過酷事故から 10年の苦闘の末、ようやく到達した八合目。頂までの道は今までで一番開けている。