「〈事故が起きたとき影響が及ぶ範囲に人が居住している土地には原発を設置すべきではない〉という基本的な考え方を、多くの国が持ちさえすれば、実質的に世界から原発はなくなる」

scroll

Profile菅 直人 元首相
第94代内閣総理大臣(2010年6月〜 2011年9月)。衆議院議員、立憲民主党最高顧問。東日本大震災および東京電力福島第一原発事故時に、総理大臣として災害対策に当たった。原発事故を経て、日本の総理大臣として初めて脱原発と自然エネルギーの促進を宣言。

「原発の重大事故は起きない。その前提に立って日本の社会はできていた。原発を 54基も作ったのもその前提があったからだ。法律も制度も、政治も経済も、あるいは文化すら、原発事故は起きないという前提で動いていた。何も備えがなかったと言っていい。だから、現実に事故が起きた際に対応できなかった。政治家も電力会社も監督官庁も『想定していなかった』と言うのは、ある意味では事実なのだ。自戒を込めて、そう断言する」

2011年の東電福島第一原発事故対応を振り返る著書* の中で、菅直人元首相はそう述べている。

無限の被害を生む技術

事故直後に近藤駿介原子力委員会委員長(当時)が非公式に予測を立てた〈最悪のシナリオ〉では、避難区域は東電福島第一原発から半径 250キロに及ぶ可能性が示されていた。北は東北全域から南は首都圏を含む関東の大部分の、約 5,000万人が避難対象となる。この〈最悪のシナリオ〉について、菅元首相はこう回想する。

「SF小説『日本沈没』のような世界が現実となり、日本の大部分が壊滅して国民が住む場所を追われるかもしれないという可能性に戦慄しました。原発事故というのはそれに匹敵する被害があり得るものだということは、頭では理解はしていましたが・・・。日本全体には至らなかったものの、現実に福島から故郷を追われて厳しい避難をせざるをえない方々を生み出してしまった。その苦しい状況が現在も続いていることはよく認識しています」

原発サイト内で命懸けの作業を行った人々の働きを大きく評価した上で、この原発事故の被害がさらに広域に至ることを免れたのは「いくつかの幸運が重なった結果」だと振り返る。5,000万人、あるいはそれ以上の避難民を生む状況は、空想の話などではなく、紙一重で現実となりえたのだと。

暴走した際には人間の手では制御ができず、安全装置が機能しなくなってしまったならばもう〈運頼み〉しかないという技術が、原子力だ。

思考停止がつないでいる原発の命

東電福島第一原発事故後、ばら撒かれた放射能という実害が広がる中で、運営システムにおける機能不全や、ずさんで実効性のない事故対策等、原発の問題点が次々と露呈していった。

過酷事故を起こした東京電力が「事故から得た教訓」は、原発をやめることではなく、多重防護で安全策を強固にすることだった。こうした安全対策費は、国内の電力会社 11社合計で 5兆円超という見積もりが出ている。また、東電福島第一原発の事故対応費は、これまでで総額 81兆円にのぼるという。無論、原発事故被害は金銭では到底補うことのできないロスも生む。

発電施設の事故を防ぐために、また、実際の事故時の対処に、これだけ現実離れした天文学的費用がかかる発電方法はそもそも合理的なのだろうか。財政的側面だけでなく、万が一の際に取り返しのつかない被害を生むことと引き換えにしてまで、私たちはその発電方法が必要なのだろうか・・・

そう考えたのは時の首相も同じだった。

矛盾する言葉、本質を突く提言

「これまで、原発が推進される上で『原子力の平和利用』という言葉が使われてきました。原発事故前は、それに諸手を挙げて賛成とはいかずとも、当時の原発が軸のエネルギー基本計画の方針を認めていたわけですから、原発を進めていた立場になります」

〈平和〉とわざわざ断っているのは、日本が被爆国であるからに他ならない。広島や長崎に起きた悲劇が歴史の上の言葉になってしまったとしても、10年前の福島をもって「原子力は本当に『平和』利用できるのか?」と、根本から問う必要がある。また、規制というのは原発を動かすことが前提としてあるが、果たして原子力というものが安全に〈規制〉できるのか、という問いもある。

適切な規制を行う役割の人間も必要となる。東電福島第一原発事故以前は、国策としての原発を推し進める立場の経済産業省の下に安全を司る機関** が置かれていた矛盾があった。また、安全を監督する側の経産官僚が電力会社へ天下りしていた事実もあり、規制をする側とされる側の不適切な関係も指摘されていた。こうした規制当局がまともに役割を果たさず、政官財が癒着した、いわゆる「原子力ムラ」の存在は日本に限らない。

菅元首相と同様に、原子力を規制する政府の立場から原発撤廃の意見に転じた権威に、東電福島第一原発事故時に米国の原子力規制委員会(NRC)委員長を務めていたグレゴリー・ヤツコ氏がいる。福島での事故をきっかけに原子力のリスクについて再検討し、米国の原発の安全性の欠陥を洗い出した。対策と規制の強化を求めた結果、原子力産業界をはじめとする米国「原子力ムラ」からの圧力により職を追われてしまう。

近年、ヤツコ氏は米大手紙に「原発はそれ自体が核兵器に進む実存的脅威であり、統制できなくなれば人を殺し土地を破壊する。残された選択肢は、地球を救うか、あるいは原子力産業界を救うかのみだ。私は地球に一票を入れる」と寄稿している。菅元首相はこのヤツコ氏と何度か面会をし、影響を受けたという。

「ヤツコ氏にお会いした際、『原発事故はいつどこで起きるかわからないが、いつかどこかで必ず起きる。その事故が起きたとき影響が及ぶ範囲に人が居住している土地には、原発を設置すべきではない』と明言された。原子力規制の最前線で役割を果たされた方がそう言われたことが、強く心に残りました。この方針を日本のように国土が狭い国に当てはめると、原発を設置できる場所は存在しないということになる。このヤツコ氏の基本的な考え方を多くの国が持ちさえすれば、実質的に世界から原発はなくなるわけです」

事故を経て、新しい道を拓くために

原発に代わるものとして、菅元首相は自然エネルギーの普及を訴えてきた。首相を辞する前に、固定価格買い取り制度を定める再生可能エネルギー特別措置法案を成立につなげ、具体的な自然エネルギー拡大の道筋をつくった。この導入も契機のひとつとなり、この 10年間で太陽光発電を中心に自然エネルギーは発展を遂げた。

「いま、さらに理解を広げていきたいと考えている自然エネルギーの具体的構想として、ソーラーシェアリングがあります。農業を営みながら、農地を太陽光発電にも活用する、営農型太陽光発電です。今後クリーンなエネルギー生産のポテンシャルがあるのは農村だと」

この、農作物を育てながら、農作物を損ねないようにソーラーパネルを設置するソーラーシェアリングを日本の総農地面積の少なくとも 40%で行い、既存の自然エネルギー供給量と組み合わせた場合、日本の今の年間電力消費量をまかなえる試算も出ているという。現政権は、二酸化炭素の排出量削減を口実に、原発の再稼働や新設も模索している。しかし、現実的に原子力や化石燃料に頼らない形で日本の電力需要を満たせる可能性は、多くの環境 NGO によるシナリオでも明らかになっている。電力を供給できるかという点さえクリアであれば、大半の国民も原発には固執していない。あとは供給システムを実際に整えていくように政治が方針を決めさえすれば、と菅元首相は話す。

「これまで自然エネルギーの取り組みは小規模ではいろいろと行われていましたが、より大きな規模で行うためには積極的に政策が取られなければなりません。政治が動けば、自然エネルギーをさらに促進して供給 100%にしていくことは十分に可能です」

地域経済が原子力産業に依存しているために原発を断ち切れない構図は、全国各地の原発立地地域に見られる。自然エネルギーが魅力ある新しいテーマとなって、この依存の形も変えていくこと、そして福島においては、経済的にも地域を立て直す鍵となると、菅元首相は期待をかけている。

「すでに福島では、この 10年間で多くの太陽光発電施設が稼働しています。加えて、その太陽光発電と水素をつなげたエネルギーシステムも動き出しています。福島にはぜひ、クリーンなエネルギーを拡大してくための中心的なモデル地域のひとつになってほしい」

「10歳で被災をした子が今年 20歳になったというような、特に子どもたちの成長を通してこの 10年を見ると、新しい人生が始まっていっていることを実感します。この 10年目を、福島の地域と人々がさらに前向きに進んでいける新たなスタートの年とできるよう、政治も力を添えていきたい」

政治は勝手に進むものではなく、私たち市民の選択と要求が大きな政治判断につながる。私たち自身が国という船が向かうべき方角を定め、人任せにせず、舵取りに関わる姿勢を持たなければ目的地に到着することはできない。

  • *『東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと』菅直人(幻冬舎新書/2012年)
  • **当時の原子力安全保安院。原子力安全保安院は東電福島第一原発事故の翌年に廃止され、経産省から独立して環境省下の原子力規制委員会へと移行された。