「この事故の一義的な責任は東電や国にあると思うけれど、自分にはないのか? 社会に生きている一人ひとりにも、責任はあるんじゃないか? だからこそ、自分の問題として問い直してほしい。そうすれば、社会も変わっていくんじゃないかな」

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Profile武藤 類子さん
福島県三春町在住。チェルノブイリ原発事故をきっかけに脱原発運動に参加、1988年に仲間とともに福島で「脱原発福島ネットワーク」を結成。東京電力福島第一原発事故の翌年、2012年に福島原発告訴団団長となり、東京電力旧経営陣の刑事告訴に踏み切る。

東京電力福島第一原発の一号機は、2011年の時点で運転開始から 40年の老朽原発で、これまでも小さな事故やトラブルが多発していた。原発に危機意識を持ち、地元福島で 30年以上脱原発運動に関わられていた武藤類子さんも、事故直後は、これほどのことが実際に、しかも福島で起きたことが信じられず、愕然として途方にくれた。

張りめぐらされた安全キャンペーンの中で

次々と爆発していく原発、そして三号機がプルサーマル炉* であることにさらに危機感を強め、西へと避難を決めた。武藤さんの自宅は原発から西に 45キロの場所にあり、避難指示は出ていない。むしろ原発近隣からの避難者を受け入れる自治体だった。国からの避難指示圏は刻一刻と広がり、3月 12日夜には原発から 20キロ圏内に避難指示、15日には 30キロ圏内に屋内退避指示が出た。

「20キロ圏内の避難だけで十分に安全なのか、せめて小さい子どもたちだけでも遠くに逃がせないのか、避難が難しい障がいを持った方々に助けの手を・・・事故対応としてこのくらいはしてくれるだろうと思っていたことが、一切されなかったのには驚きました。一旦事故が起きてしまったら、机上の避難計画は機能しないんだなと」

チェルノブイリ原発事故と並ぶレベル 7の過酷事故。桁違いの災禍を経験して、これで日本は変わらざるをえない、せめて原子力政策は変わるだろうと、原発に反対してきた多くの人々は感じた。震災での喪失を経て、これまでの便利さや物質的豊かさを追っていた生活様式を改めようという声が聞こえた。原発の問題点に気づき、エネルギー問題へも注目が集まった。今まで原発について疑問視してこなかった市民も立ち上がり、日本各地の路上で原発はもう要らないと訴えた。

今振り返るとそれらは一過性の高まりだったといえるが、そうした新たな動きも芽生えていたさなか、福島では事故直後から「福島は安全」という徹底したキャンペーンが進んでいた。事故後まもなく放射線健康リスク管理アドバイザーが各所に送られ「妊婦や乳児であっても、年間 100 mSv(ミリシーベルト)以下は大丈夫。子どもも外で遊ばせていい」といった予防原則とは程遠いメッセージが流布された。国や県によりすばやく展開された一方的で巧みなリスクコミュニケーションを間近に見て「原発は終わりに向かうかも」というのは幻想だったと、武藤さんはすぐに感じた。

「事故は矮小化され、真実は隠され、国は被害者を救済しない。健康を守るための基準である被ばくの線量限度も、事故前までは年間 1 mSv までなら仕方がないとされていたものが、20 mSv までなら問題ないと受け取れるような情報にいつの間にかすり替わる。そうした中で、転換へのわずかな期待は、またたくまに目に見えて砕かれていきましたね」

汚染木材を燃やして木質バイオマス発電。汚染土を再利用して野菜栽培。浄化処理したからと汚染水を海洋放出・・・。放射線防護に関する基準を緩めるだけでなく、すべてが問題なく進んでいるという印象を刷り込むように、さまざまな事業がここ数年の間に次から次へと福島県内で行われている。懸念や反対の声は封じられた。

「除染や焼却など、復興事業に参入している多くは電力・原子力関連企業。利権絡みです。誰もが復興したいと願っている。〈復興事業〉というのは、その思いにつけ込むように、人の心理に巧みに入っていきながら進められているなと思います」

復興と子どもたちへの継承

2016年、武藤さんの暮らす三春町に「環境創造センター(コミュタン福島)」という立派な施設がオープンした。原発事故後の経過や放射線の知識などを伝える学習施設で、県内の小学校高学年の生徒が校外学習として利用することになっているという。

「見学をした子どもたちが『放射線は怖いものだと思っていたけど安心した』といった感想を言ったりしているのを見聞きすると、すごく複雑ですね」

そこの展示内容が、教訓よりも復興を強調する表現になっているのではという専門家の指摘もある。施設内の展示説明文で使われている全単語を分析したところ、「安全」「利用」といった肯定的なワードが上位を占めたそうだ。チェルノブイリ原発事故の博物館では、「事故」「汚染」「死亡」といった言葉が多く、肯定語は少ないという。どういった被害が、どの程度あったのか、何を繰り返してはならないのかという記録を展示し、伝えていくのが本来のこうした施設の役割のはず。

福島第一原発からわずか 4キロの双葉町にも「原子力災害伝承館」が 2020年に開館した。総工費は約 53億円で国の交付金だ。原発事故の進展状況が動画やパネルで説明されているというが、被災を語る物証・実物展示はごくわずかで、反省や教訓には触れず、何を伝承したいのかよくわからないという声もある。中間貯蔵施設に積まれたフレコンバッグが途切れることなく並ぶ風景をバスの窓越しに見ながら、そこへも中高校生が団体で見学にやって来る。

「教育の中で、一部の情報を伏せて伝えるという不誠実なことが起きています。最近では経産省が福島県内の高校に出向いて出前講座を開き、汚染水を海に流す妥当性など話したそうです。施設見学にせよ、特に若い世代へのそうした刷り込みは許しがたいなと感じますね。莫大なお金が使われ、組織的にそれが行われている」

原爆をつくった街を目指す復興策

現在、県をあげて「福島イノベーション・コースト構想」という復興策が浜通りで進められており、前述の伝承館しかり、多額の復興予算が箱物建設に注ぎ込まれている。この構想が打ち出された際、政府は米国ワシントン州にあるハンフォードをモデル都市とした。そこは長崎に落とされた原爆の原料となったプルトニウムが精製された街。原子力施設群は閉鎖されて久しいが、地域の放射能汚染が激しく「米国一汚染された場所」と呼ばれていた。しかしその後、除染等の環境浄化事業のために研究機関や企業が集まり、非常に潤った。その事例を見習うという。そうした恩恵からか、ハンフォードでは今も原子力が礼賛されている。

「原発城下町で事故が起き、今度こそ原発に頼らない街を作っていけるのかなと思っていたところへ、また核関連企業が入ってくる。発展のために再び原子力に依存するのかと。よく注意していないと、行政のつくる〈復興〉の波に乗せられ、いつの間にか被害者を置き去りにするような政策の一翼を担わせられてしまう不安があります」

境界線を引かずに、手をつないでいく

武藤さんらは 2012年に福島原発告訴団を結成し、東京電力旧経営陣の刑事告訴 ** に踏み切る。初公判までに 5年を要し、未だ決着しておらず、長い闘いの中で鬼籍に入った仲間も少なくない。同団のほか、東電と国を訴えた福島第一原発事故に関する集団訴訟の数は全国で30件以上あり、その多くがあいまいなままで放置されている被害の責任の所在を問うものだ。

「告訴を決めた際、自分が誰かの罪を問うていいのかと悩みました。でもこの裁判は、誰かの断罪が本当の目的ではなく、裁判によって責任を取るべき人を明らかにし、その責任とは何なのかを問い、問われた側も私たちも考えて、二度と同じ過ちを起こさないようにするためのもの。二極化して闘うものではあるけれど、ともに進むべき道を探るためにやるものなんだと」

同団の告訴・告発人数は 14,716人に達した。福島県外からも告訴・告発人を募った際に「県外者の自分が〈被害者〉として加わってもいいのでしょうか? むしろ加害者なのでは?」と尋ねた方がいた。つまり、原発立地地域に危険を押しつけ、電力を安全な場所で享受していた自分が、訴える側に入っていいのかと。

「この事故の一義的な責任は東電や国にあると思うけれど、自分にはないのか? 社会に生きている一人ひとりにも、責任はあるんじゃないか? 私にも。子どもにはないですけどね。だからこそ、自分の問題として問い直してほしい。そうすれば、社会も変わっていくんじゃないかな。福島だけの問題にせず、みんなが当事者という観点で、一緒にやっていければ・・・」

原発事故の半年後に東京で開かれ、約 6万人が集まった反原発集会にて武藤さんがされたスピーチの中に「何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っていることに思いを馳せなければなりません」というくだりがある。「コンセントの向こう側」とは、見えにくくされている原発にまつわるすべてのこと。「コンセントの向こう側」のすぐ近くにいる人も、遠く離れた「こちら側」にいる人も、同じようにささやかな暮らしを営んでいる。その間に境界線を引いてしまうことは、原発事故により福島に広がってしまったようなさまざまな分断を、別のスケールで生むだけだ。

「若い人たちも行動を起こしてくれている。数ある原発訴訟の中でも小さな勝利があったりする。がっかりすることも多いけれど、少しずつでも、やはり人は進化していくと思うんです。変わるのは時間がかかる。小さい努力を積み重ねながら、諦めず、地道に訴えていくしかないですね。みんなでね」

  • *プルサーマル炉:使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、ウランを混ぜて作られたMOX燃料を使う原子炉。MOX燃料は通常のウラン燃料より放射線や熱量が大きく、制御が難しい。事故が起これば、大量のプルトニウムが環境中に漏れ出す可能性がある。
  • **福島原発刑事訴訟:東電が予見していた巨大津波の対策を怠って防ぐことができた事故を防げず被害を生んだ責任を問う裁判。検察は不起訴処分を重ねたが、市民で構成する検察審査会で強制起訴となる。一審判決は無罪。検察役の指定弁護士は「原子力行政に忖度した判決だ。これが確定すれば、著しく正義に反する」として控訴。