「地表の放射線を測るために、背丈以上に生い茂った草を踏みつけて敷地に分け入るけれど、その自分の足の下には作物が実った畑があったのかもしれない。大切に育てていたお花があったのかもしれない」

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Profile鈴木 まいさん
2003年より国際環境 NGOグリーンピースの活動に参加。2012年より放射線防護アドバイザーとなる。2011年の東電福島原発事故以降、毎年福島に赴きグリーンピースの放射能測定調査に携わっている。

東京電力福島第一原発事故により環境中に放出された放射性物質は、野山に、田畑や庭に、海や川に、アスファルトに、人々の頭上に降下した。 セシウム137 ひとつとっても環境中で自然に半減するには 30年を要する。人々が暮らしを営むすべての場所と、毎日口にする食べ物や水の安全性は、原発事故の日を境に急変した。目に見えず、臭わず、味もない環境汚染の実態を可視化するための唯一の方法は、機器による測定である。

見えないものを見えるように

「安全確認のためはもちろんですが、放射性物質がどのくらい存在するのか数値化することで、それをばら撒いた東電や国の責任を明確にできますし。今進んでいる除染だって、取り除けばなんとかなると言っていても、値を出して『なんとかならない』ということを突きつけることができる」

グリーンピースの放射線防護アドバイザーとして、原発事故直後から毎年福島に足を運んでいる鈴木まいさんは、測定の重要性を語る。

原発事故翌年の 2012年から環境省による汚染地域の除染が開始された。「除染」とは、空間放射線量を低減させるために、放射性物質が付着した表土の削り取り、枝葉や落ち葉の除去や建物表面の洗浄などを行うものだ。除染で取り除いた土壌は、各地域の仮置場へ搬出したのち、中間貯蔵施設に送られる。国は「除染により放射性物質を取り除く」と言っているが、実際は文字通りにはいかない。除染に一定の効果がある地域もあれば、山村では効果的な除染は難しく、いくら土の表面を剥いで新しい土を置いても、雨風が山や森から再び放射性物質を運び込み、再汚染が起こるという自然の複雑な現状はグリーンピースのこれまでの調査でも明らかになっている。

地形などにより土や水が堆積してホットスポット(局地的に高線量の場所)が生まれること、森林で線量が高いこと、予想外の場所でも高線量の検知があることなど、測ってこそわかったことが多くある。一方で、個人の暮らしの中でこれらの数値が何を導くのかと考えることもあった。

「原発事故から間もない時期に、測定調査の現場で協力者の方々から『どうしたらいいでしょうか?』と、藁をもすがるように尋ねられたことがありました。その頃本当に情報が少なかったので。放射線量の値を示し、リスクの可能性を伝えるしかない。何マイクロシーベルトかという数字は重要な情報ですが、それぞれの生活の中で、その先どう行動すべきかなど、どこまでアドバイスをするのかというのはとても難しい部分です」

放射線量の値は、リスクを遠ざけるための回避や避難の選択に役立つ指針となることができるが、ときに「故郷が戻ることができる環境ではない」という過酷な事実を突きつけるものでもある。

奪われた暮らしを踏む

「調査でたくさんの方々のお宅に入らせてもらったのですが、そこにあったはずの生活を想像してしまうと、辛く感情のやり場がなくなってしまうので、測定のほうに集中して、一時的に感情に一線を引くこともありました」

避難指示区域の調査では、住人の方に避難先から元の住まいへ来てもらい、自宅や生活について伺う。それを踏まえてどこをどのように測るか計画を立てるが、過去の日常について聞き取りをするという「無くなってしまったものを確かめさせるような作業」に心苦しさが伴った。

「ここが母屋で、何人で暮らしていて、ここが畑で何々を育てていて、裏山では何々が採れて・・・と、暮らしぶりを細かく説明してもらうのですが、目の前にはそれらは一切なくなっているわけです。地表の放射線を測るために、背丈以上に生い茂った草を踏みつけて敷地に分け入るけれど、その自分の足の下には作物が実った畑があったのかもしれない。大切に育てていたお花があったのかもしれない」

帰還困難地域での調査を終えて帰路につく日暮れ時、家々がそこにまだあるのに灯るあかりがなく、夕飯を調理する匂いが漂わないことに、その場所から暮らしだけがすっぽりと奪われたのだと痛感した。

海から食卓へつながる汚染

2011年 10月、グリーンピースは、食品の放射能汚染の実態を独自に調べ、被害の実証を集めるため、放射能測定室「シルベク」を都内に開設。鈴木さんはその測定スタッフも担った。シルベクの食品測定では、日本人の消費の多い魚介類の検査に重点を置き、第三者の測定専門機関にも協力を得ながらデータを公開した。東電福島第一原発と同レベルの過酷事故を起こしたチェルノブイリ原発は内陸にあり、大規模な海の放射能汚染は過去に例を見なかった。広い海の中で生態系内の生体濃縮も懸念され、野菜などと異なり、生産履歴も追跡しにくい。

当初は関東で水産物を購入して検査を行っていたが、さらに広範囲からサンプルを集める必要があった。全国からボランティアを募集したところ、多くの応募があり、東北、東海、関西からの検体の検査が可能となった。「周囲で放射能の危険性を話せる人が誰もいない。調査に協力して不安を解消したい」と申し出てくれた福島のボランティアの方もいた。

「この市民調査員との協同はとても印象に残っています。ただ魚を買って送るだけではなく、指定された小売店で『〇〇産・天然ブリ切り身』であるとか特定の可食部の商品を、最低 500グラム手に入れないといけない。その日に売場になかったり、重量を満たせていなければ翌日以降また探して・・・同じスーパーの違う店舗を回ってまで入手して送ってくださる方もいました。情報が錯綜する中で、食べ物の汚染への不安の広がりを実感し、測ることの大切さを多くの方々と共有できた調査でした」

原発事故直後に国が「暫定基準値」として定めた指標は 500ベクレル(キログラムあたり)、約 1年後に肉・魚を含む一般食品は 100ベクレルまでとなる。当時、この基準値を元に、国の検査を通過した魚だけが市場に出ているとは考えにくい状況だった。商品パッケージに検査結果が書かれているわけでもない。シルベクによる流通している魚介類のモニタリングは、スーパーマーケットに自主検査や独自の基準値の設定を促し、行政に頼らない食品の安全性確保を小売店にも行ってもらうという狙いもあった。小売店も巻き込んで消費者の不安を解消することは、人々の内部被ばくを避けるためだけでなく、結果的に生産者の支援や漁業の本当の復興につながる。

「2011 〜 13年の調査期間中、東電福島第一原発に近い三陸沖や千葉県沖産の魚からの検出* が目立ったのですが、かなり距離の離れた** 北海道や静岡県、兵庫県産の魚からも数値が出たときは、魚が回遊するのはわかっていたことでしたが驚きました。鹿児島産の養殖魚や、水煮缶からの検出も、養殖魚の餌の汚染や水産加工品の流通網など、いかに複雑で多様なルートを介して汚染が食卓へ運ばれるのかがあらわになりました」

これまでも東電福島第一原発からの放射能汚染水が海へ流出される事象は起きていたが、2020年、日本政府は同原発構内にたまりゆく収束作業由来の「処理済み」汚染水の処理方法を海洋放出を現実的な選択肢とする報告書をまとめた。現在水産物のセシウム濃度はなだらかに減ってきており、基準値を超えるものも見られなくなっている。ようやく復活の兆しが見えてきていた漁業をまた底に突き落とすような動きに、漁業関係者たちは強く反対を訴えている。

歳月と区切り目の意味

原発事故から 5年目を迎えようとしていた 2015年末、飯舘村での調査中に地元の方と交わした「節目」についての会話を、鈴木さんは今でも考えている。

「年配の農家の男性が『 5年だからどうこうということは、何もないんだよ。あまり意味がないんだよ』と優しく仰ったんです。人それぞれの 5年、10年。何も決着が着いておらず、いまだにさまざまなことが進行中なのに、何を区切れというのか、ということなのだろうと」

渦中の人々にとっては、毎年やってくる 3月11日はとどまることのない日々の流れの中での一つの点に過ぎない。当事者でない人間ほど「何年目」と扱い、その翌日にはまた去っていく。

日本で、福島で、本当に何が起きているのかというのを明らかにしたい、という想いで放射線調査に関わり始めた鈴木さんだが、自分のできることが年々減っていっているように感じることがある。

「継続というのは簡単ではないですよね。できることが減っているように感じるのも、自分の中で問題への気持ちが途切れているのかも。でも二度と福島に起こったことが繰り返されないようにするためには、自分ができることを見つけて、ずっと継続していくしかない。しっかりと何度も思い出すために、何年という区切り目は、福島で暮らす方々よりもむしろ私たちのためにあるのだと思います」

  • *ゲルマニウム半導体検出器によるガンマ線スペクトル測定。セシウム134・137、ヨウ素131を計測。検出限界値はともに 5ベクレル(キログラムあたり)未満。
  • **福島第一原発からの距離:北海道:約650キロ、兵庫県:約590キロ、静岡県:約400キロ、鹿児島県:約1000キロ