「辛いことや被害があっても口をふさいで子どもに背負わせているのは大人。万が一、実際に子どもの健康に問題が出てきたら、風評被害とか言っている場合ではなくて、責任あるところに責任を問うのが、大人がやらないといけないことなのではないか」
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- Profile鈴木 真理さん
- 2011年 5月、個々に活動していた仲間が集まり、福島県須賀川市で NPO はっぴーあいらんど☆ネットワークが発足。2012年より代表となる。セミナーやワークショップ、健康相談会からダンスや演劇上演まで、「福島に住むということに正面から向き合い、今と未来を考えていく」ためのさまざまな活動を行っている。
福島県須賀川市を拠点に活動している NPO はっぴーあいらんど☆ネットワーク(以下、はっぴーあいらんど)は、震災直後は救援物資配給の拠点となり、住民の支援活動を行った。2012年以降は「福島に住むということに正面から向き合い、今を見つめ、未来を考える」を活動のモットーに、多岐にわたるイベントを催している。その大きな活動指針は、ふれあいやすい文化活動を通して具現化され、人々の心を汲み取り、やさしく呼び起こしている。
目をそむけたい現実に向き合うために
「緩く平たいネットワークなんです。メンバーも入れ替わり立ち替わりで。移住してしまった人もいるしね、でもまた新しい人が入ってくる」
はっぴーあいらんどの代表を務める鈴木真理さんは説明する。
放射能への不安や疑問について相談ができる場を設けるために、医師の協力を得ながら健康相談会を開いたり、汚染の残る地域から避難・移住ができない子どもたちに、不安のない場所での一時的な生活をあっせんする保養事業を行ったりと、住民たちが身体のみならず精神面ともに健康を保つことができるよう、取り組みを続けている。また、お母さんたちが集うお茶会を毎月開催し、汚染の現状を共有したり、福島で子育てをする不安を気軽に話せる場をつくっている。
しかし、活動の中でもそうしたケアとは最も遠そうな「演劇」がはっぴーあいらんどの主軸だという。福島に暮らす人々が日々何となく感じている違和感や不安感。その解消のためには何が必要か。その答えは、考えて積み上げていかないことには、簡単には出てこない。演劇は「考える」トレーニングのツールだと話す。
「国に理不尽なことを押しつけられても、自分たちが状況を理解していなかったらそれを覆せない。流されて生きていると、まず自分の意見を前面に出して行動するという自信が、なかなか持てないのが普通です。演劇という手段を通していろいろと学び、考えて、理解をしていけば、理不尽を覆す力につながるのかなと」
演劇プロジェクトの 2016〜17年の初公演では、第二次大戦中に原爆開発のためのウラン採掘に学徒勤労動員された福島の中学生たちの実話を元にした『U235の少年たち』という作品を通し、戦争と原発というふたつの国策に翻弄された、それぞれの時代の若者の姿を描いた。ストレートな原発問題に限定せず、2018年には 1882年の福島を舞台に福島自由民権運動の激動を描いた『天福ノ島(てんぷくのしま)』を、2019年には他者への理解と憎しみについて問う日本人と在日コリアンの物語を上演した。
舞台のキャストは毎回募集をかけ、10〜30代の若者たちが集まる。演劇経験者もいるが、未経験者がその大半。最初からテーマや「考えること」を意識して参加してくる子はほとんどいない。
「最初は、楽しそうとか友だちと一緒に練習したいとかでいいんです。初めからそんなに考えてもらわなくても、途中経過が大事なので。芝居作りひとつにも、背景や歴史を勉強するところから入ります。そのプロセスで大人も子どもも『過去にそんなことがあったんだね』と学ぶ。演っているほうも観ているほうも、徐々に問題を自分ごとに落として理解していく」
変化球だからこそ響く問い
「劇中で、除染で出た汚染土を詰めるフレコンバッグを登場させたのですが、キャストの中にそれを知らない十代の子がいたんです。でもそれ以降、街のいたるところに積まれている黒い袋は、彼女にとって異常な風景として映るようになりました」
幼い頃に原発事故に遭った世代にとっては、物心ついた頃から生活の中に被災が溶け込んでいるため、基本的で視覚的な問題提起も含むと、演劇プロジェクトの脚本・演出を担当している大野沙亜耶さんは話す。大野さん自身も震災時は 18歳だった。
「形のねぇものは盗られてもなかなか気づけねぇ。そのことがいちばん厄介だ」というセリフが『天福ノ島』の劇中で出てくる。福島の青年民権家・琴田岩松による実際の演説にあった一節「金品など有形の財産を略奪する泥棒がいつの世にもいるが、本当にけしからんのは人民の権利など無形の財産を略奪する権力者だ」から生まれた言葉だ。
目の前に問題があるのに、時が経つごとにそれが見えづらく、語られなくなっていく。知ることでより見えるようになるのは、フレコンバッグのような物体だけではない。人の〈権利〉といった、目に見えないけれど進行形でいま奪われているものも、演劇という仕掛けを通じて認識につなげることができる。
「過去の物語を通して、現代に生きる他者や自分のことを想像する。そうやって視点を変えたり広げたりすることで〈私たちはどう生きるか〉を問い直していくことができると感じています」
向き合ったからこそ語れるようになる
演劇プロジェクトに参加した子たちは社会人となり、地元を出て連絡が途絶え、卒業していく。それでいい、と鈴木さんは穏やかに言う。
「その若者たちがどこかで福島を語るときにね、ここでの表現活動を通して現実に向き合って考えた経験があれば、福島の問題をお涙頂戴ではない形でしっかりと語れるようになってくれるんじゃないかな。そうだといいなと思っています」
考えるために表現する/表現するために考える、という以外にも、もっと直接的な方法で考えることを促す試みもある。「リテラシー・ワークショップ」では、いかにメディアの情報を読み解くかということについて共に考える場を設けた。小・中・高校生、大学生から年配の方まで幅広い層の参加があった。福島についての新聞記事の切り抜きを見ながら、何を伝えているか・何が伝えられていないか、違和感を持つ部分、なぜそう思うのか、などを参加者で話し合う。
ネットにもテレビにも情報が溢れ、その中で何が本当で何が重要なのか見極めることは容易ではない。特に震災直後は、そうした読み解きがなおざりとなり、感情が先走ることが多かった。
はぴ☆フェスというお祭りの中で開催した「トークカフェ」でも、県内外のさまざまな世代の参加があり、震災時には小学生だったという 20歳前後の若者たちが思いや経験を語り合った。「なぜ自分たちは知らないことが多いのか?本当のことを知らなければ大切な人を守ることができないのに悔しい」と涙した若者の想いに、大人は応えていかなければ、と鈴木さんは語る。
子どもの口をふさいでいるのはだれか
大人の言動がいかに子どもたちに影響を与えているかということについても懸念が大きい。
2020年12月、鈴木さんたちは、県が実施していた学校での甲状腺検査の継続を求める意見書をまとめて提出した。原発事故後、30年先まで県民の健康を見守るという目的で、県による甲状腺検査は開始され、希望者が等しく受診できる機会が持てるように学校での検査が導入された。しかし現在、その継続について県民健康調査検討委員会が再検討している。その理由は、任意の検査であるにもかかわらず、学校で行うことにより強制的なものと保護者に受け取られる傾向があることと、学校現場の疲弊をあげている。これに対して、受診機会が保障されることは無用な被ばくを強いられた子どもたちにとっての権利だと、鈴木さんたちは訴えているが、政府や県のこうした動きについて疑問視しない人が多数だという。
「人々が政府や県の決定に逆らわないのは、騒いで風評被害を起こすなという見えない圧力があるからでは、と感じています。以前『福島のお米が売れなくなったり、風評被害が起きるから、もし甲状腺がんになってもわたしは言わない』と言った子どもがいたんです・・・辛いことや被害があっても口をふさいで子どもに背負わせているのは大人。万が一、実際に子どもの健康に問題が出てきたら、風評被害とか言っている場合ではなくて、責任あるところに責任を問うのが、大人がやらないといけないことなのではないか」
子どもは大人の顔をうかがって発言をする。「福島差別」という言葉もあるが、差別をつくっているのは大人であり、子どもではない。
「差別を生ませないためには、大人がごまかさずに正面から事実に立ち向かっていかないと。そうしない限り差別はなくならないと思います」
「仕方ない」に抗っていく
東電福島第一原発事故から 10年を迎えるにあたり、はっぴーあいらんどは『〈仕方なし復興〉に抗って風を起こす』というシリーズのトークを開催し、スピーカーを招いてお話を聞いたり参加者同士が対話をする機会を設けた。
ここ近年、避難者の帰還が促され、2020年には原発事故後初めて帰還困難区域の一部も避難指示解除となった。東京オリンピック・パラリンピックは「復興五輪」と命名され、明るいニュースが溢れる裏で、福島の人々は「仕方ない」と言いながらすべてを胸のうちにしまい込んでいく。鈴木さんは、こうした諦めることを促すような動きを「仕方なし復興」と名づけ、この風潮に抗いながら次の 10年を踏み出していきたいと語った。
福島で何が起き、何がいまだ進行中で、自分の置かれている環境はどうか、といったリアルに向き合い、その中で自分はどう動き、生きるのかを考えることは楽な作業ではない。正解もない。しかし、その内なる作業を怠る人が増えることが出来事の風化を招いてしまう。鈴木さんたちは、考えることを個人に押しつけるのではなく、人と人とをつなぎ、踊り歌い、演じながら、答えをつかむ機会をしなやかに提供し続ける。