「廃炉作業は今後何十年も続き、そこで働く作業員は必ず必要になります。けれど、現場で働く下請けの作業員を、ただの使い捨ての労働力としてしか見ていない状況がある」

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Profile池田 実さん
2013年、都内の郵便局を定年退職した後、福島県浪江町で除染作業に従事。その後、原発作業員として事故後の東電福島第一原発構内で働いた。危険な作業にもかかわらず低賃金という原発作業員の過酷な労働環境について発信し、改善を訴え続けている。

幹線道路を連なって走る何台もの大型トラック。前面には「除去土壌等運搬車」の表示が掲げられている。積荷には袋詰めされた大量の土。東京電力福島第一原発事故から 10年が経とうとする今でも、大量の放射能汚染土が、いまだ日々取り除かれ、中間貯蔵施設に運び出されている。

「除染作業や原発で働く作業員は今でもたくさんいる。それにも関わらず、不十分な労働環境の中、危険と隣り合わせで働く状況は変わっていない」

かつて除染作業、そして原発サイト内での作業に携わった池田実さんはそう話す。

福島の役に立ちたい

池田さんは、福島県浪江町で除染作業員として働いた経験がある。勤めていた都内の郵便局を 2013年に退職した後、翌 2014年 2月から、同町酒田地区で、放射性物質の付着した河川敷の除草や土壌などの除去作業に従事した。

「原発事故が起きて初めて、福島第一原発が東京で使われる電気をつくっていたことを知りました。被災した福島の人たちに申し訳ない、何かの役に立たなければいけないと思ったこととがきっかけでした」

除染作業では、残留した放射性物質を吸い込むなど、被ばくの危険性が常につきまとう。マスクと手袋が支給されたが、作業の前後で靴を履き替えるようなことはなく、作業員が線量計の電源を入れ忘れたまま仕事をすることも、しばしばあったという。

「事故から三年後、まだまだ線量が高い時期でしたが、健康面の管理体制は不十分としかいえませんでした。被ばくに対する漠然とした不安はいつもありました」

当初は一年以上の契約だったが、三カ月後に突然、しばらく仕事がないと告げられた。除染作業員の仕事は不安定で、こうした雇い止めは珍しくなかったという。池田さんは、急いでハローワークで次の仕事を探し、東京電力の三次下請けの作業員として働くことになった。

原発作業員として「F1」へ

2014年 7月から、池田さんは、事故を起こした東電福島第一原発の作業員として働き始めた。主な仕事は、原発構内の事務棟に残った書類や事務機器の片付けや、ごみの収集と分別作業だった。作業員の被ばく線量は厳密に管理され、常に二種類の線量計を携帯していた。

寮から原発に着くと、使い捨ての防護服に着替え、顔には全面マスク。一日の被ばく限度は0.8ミリシーベルトで、その五分の一を超過すると、胸に付けた線量計のアラームが鳴る。三回アラームが鳴れば退避が義務付けられていた。

「早い時は現場に入って 20分でアラームが鳴ったこともあります。労働時間そのものは一日三時間ほどでしたが、常に線量を気にして、神経をすり減らす毎日でした」

線量管理こそ徹底していたが、被ばくする線量自体は桁外れに増えた。そのような労働環境にも関わらず、給料は日当 1万円と危険手当 4千円で、除染作業員より低かった。社会保険はなく、住まいは古い民家で他の作業員との共同生活だった。持ち場が変わった後には休日出勤が必要となり、東京の自宅に帰れないことが増えた。労働環境に疑問を抱いたまま、結局、2015年 4月で職場を離れた。

「会社の指示には反対してはいけないし、質問が許されるような雰囲気もありませんでしたね。多重下請けの構造的な問題は、今もほとんど変わっていません。下請けの作業員は人間扱いされていないんです」

作業員の人権問題

退職から間もなく、池田さんは原発作業員としての経験を、講演などで話し始めた。

「原発作業員がどういう環境で働いているのかは、それまでほとんど知られていませんでした。皆、原発で働いているということを、あまり周りに話さないからかもしれません。廃炉作業は今後何十年も続き、そこで働く作業員は必ず必要になります。実際に作業員として働いてみて、過酷な労働環境について声を上げなければいけないと考えました」

原発作業員として働いた自らの経験をまとめた『福島原発作業員の記』も出版した。誰かがやらなくてはいけない仕事。それなのに、賃金や福利厚生といった労働環境は劣悪なもので、下請け構造がこうした問題を招いている、と指摘する。

池田さんは、東電が定期的に発表している作業員のアンケートで、賃金に関する不満が目立ってきていることが気になっている。賃金や労働時間をめぐる法令違反での、労働基準監督署による指導も後を絶たない。退職後、勤めていた三次下請け会社の事業所を訪ねたことがあったが、移転したのか閉業したのか、もう会社はなかったという。

「原発作業員の労働条件は改善されているとは言い難く、賃金や放射線防護の緩和など、むしろ悪くなっているといえます。労働基準監督署の指導も減っていません。現場で働く下請けの作業員を、ただの使い捨ての労働力としてしか見ていない状況は、まったく変わらないんです」

誰かがやらなければならない仕事

空前の規模の原発事故を起こしながら、政府や東電は原発再稼働を進めようとしている。福島には、見た目はきれいな自然のままであるのに、10年経つ今でも住民が戻れない区域があちこちにある。原発では、多くの作業員が働いており、除染作業や放射性廃棄物の運び出しも続いている。いずれも、被ばくの危険性と隣り合わせになりながらの作業だ。

「下請け構造の中では、現場の作業員は元請けには何も言えません。しかも元請けはプラント建設会社だったり、ゼネコンだったりとバラバラ。国や東電が、準公務員のような形で一括して管理しなければ、現場はますます疲弊していくばかりです。このままでは廃炉も進みません」

原発事故は、復旧や廃炉にあたる作業員らにも多大な犠牲を強いている。これから途方もない長い時間をかけて廃炉を進めなくてはならない一方、現場の作業員の労働環境改善は遅々として進まず、多重下請けの構造的な問題は今なお存在している。

危険だが誰かがやらなければならない仕事。20年後、40年後、あるいはその先でも、未来の誰かが負わなければならない過酷な仕事の労働環境改善のために、池田さんは声を上げ続ける。